このblog「・・・LOOP・・・」も皆様に愛されてか、憎まれてか分かりませんが・・・(^_^;)
なんとアクセス、「500000!」突破です。
初めは日記のつもりで始めたのに、こんな事になるなんて自分でもビックリ!!!です。
サーフィンを主としたblogなんで、ふと「SURFING」と言うものを振り返ってみました。
16歳、雑誌でサーフィンに興味を持ち。
初めて磯ノ浦へ電車で行き、親類のお兄ちゃんに借りたボードで全てが分からない状態で、周りの方を真似して、必死でパドリング、テイクオフ!(もちろん膝のスープですが・・・)
でも、あの今まで感じたことのない感覚は衝撃的で、親に無理言ってそのボードを買ってもらいました。
当時はまだシングルやツインが主流でした。
僕のファーストボードは「ポセイドンサーフ ボード」のシングルフィン。
当時はボードケースは彼女に作ってもらうのが、トレンド!(笑
僕も戎橋の「とらや」で彼女とキルティングの生地を選び、ハギレコーナーにあったスウェードを買って、ノーズにつけてもらいました。
それで、小遣いの続く限り波があろうが無かろうが(当時は波情報なんてなかった)イソコへ・・・
17歳になると周りにもサーファーが増えて、伊勢に行くように(もちろん電車で)
それに、サーファーブームでサーフィンしてたらモテる事もあり、真っ黒けに焼いてました。
髪も当時、サーフショプに「SUN in」って脱色剤が売ってて、みんなでスプレーしまくり、まっ茶色...!!!
翌日、学校へ行くと先生に「コラァ!アホサーファーども!!」 とよく怒られてました。
でもサーフィンやってると確かにモテた気がしたけど、僕は女の子は苦手で波乗りに夢中でした。
そんな感じで、伊勢にこもったり大会に出たり夢中でサーフィンしてました。
20代もそんな感じで夢中に海に・・・
30代になるとオモシロさがあんまり感じられず、だんだん行かなくなり乗れなくなってきました。
そんな時に大病をして、2年程サーフィンから離れてました。
海にも行かず、引きこもり状態。(かなり精神不安定状態でした)
そんな時に、僕を無理やり海に連れて行ってくれたサーファー仲間が居ました。
そいつとは高校の同級生、学校の時は喋ったこともなかったヤツでしたが、
偶然イラコで遭遇、僕もそいつも1人で来てて意気投合。
いろんな場所に行って色んな波に揉まれて乗りました。
今思えばそいつのおかげで、今のこうして未だサーフィンを続けれてる自分がいると思います。
病気の方は、すぐにはよくならなかったけど、精神的に開放される事ができたし海と友に感謝です。
その友人は巨体で当時でも100kg程ありましたが身軽なデブでスポーツマン、BIGWAVEが得意でした。
そいつも腰をいわしてリタイヤ、一時は130kgまで肥えてましたと言う巷の噂でしたが・・・
先日、転勤先の福岡から久しぶりに連絡があり「木村! 俺痩せてまたサーフィンするわ!」と嬉しい言葉。
腰も大丈夫そうで1ヶ月で10kg程痩せて、本気でフェニックス計画進めてるようなんで、
僕も彼が痩せたらボードやウェット探しに協力しようと思ってます。
でも、サーフィンはホントに素敵なスポーツを超越した、なんと言えばイイのか・・・
自分が元気になれる楽しい不思議なスポーツやと思います。
かっこよく言うなら、人生の縮図?
沖に出るのも、めちゃ大変。。。
それを諦めるのは簡単だけど、諦めると沖のエエ波には乗ることは出来ない。
沖に出れた時点で、みんな平等で同じスタート地点。
そこからが大変、誰よりもアンテナを尖らせ、情報をキャッチして、乗れる波を見つける。
見つけてもそこに行く体力も必要・・・
乗るにしても、スキルが備わってなければワイプアウト。。。
それに根性も運も必要。。。
こう考えると、なにが楽しいか分かりませんね・・・(笑
でも、乗れると理屈抜きに、ただ楽しい、嬉しくなるんですよね。
エエのん乗ると、アレだけしんどかったパドルも気持ち良くなったりする事も。
それに、今じゃネットや波情報で色んな情報得ることができますが、未だ100%ではないです。
自分なりの経験から、「大穴」を当てた時はストークしちゃいますね♪
ちょっと酔って何を言うて書いてるのか、だんだん分からなくなってきましたが。。。(汗
とにかく波乗りや海からは、僕はパワーをもらってるのは事実
もうすぐ50代ですが、サーフィンは辞めれそうにないですね・・・
こんな中途半端なシティーサーファーのBLOGですが、これからもヨロシクです。
いつまで続くかは分りませんが...(^_^;)
・・・KEEP SURFING・・・SAVE THE OCEAN・・・
ちょっと酔っ払った時には、こんな曲が気持ちイイ
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